« 2017年5月 | トップページ | 2017年7月 »

2017年6月

サニー-アベニュー コンサート



横浜市金沢区にある長浜ホール。野口英世記念館の中にあります。今日はここでサニー-アベニュー主催の二回のインド舞踊コンサートが行われます。今日はお天気も良く、まさにコンサート日和。


スタッフの皆さんがロビーを飾って下さいました。


開演前の静かな時間。


今日の舞台は観客の真ん中に設定。360度を意識しながら踊ります
ドキドキだけど楽しみですね。


今日は関内さんと一緒。宇都宮を6時半の電車に乗ってやって来ました。ご苦労様。さあ綺麗な楽屋で支度しましょう。
頭と顔を作ったら、十人のスタッフのサリー着付けを行いました。事前に宅配したサリー。それぞれがぴったりのサリーを選ぶのはさすが。


スタッフの皆さん手作りの美味しいランチ。エネルギー充電。那須から観に来てくれた井上さん、手作り人参クッキーありがとう😊


1ベル前には余裕の準備完了。

今回二人で踊る曲は、360度を考慮したフォーメーション。入れ替わったり、身体が重なって見える面白さを楽しんで考えました。


サニー-アベニュー主催の田内さん。サリーがお似合いでした。

全視界は楽しい。

前回、普通に舞台で踊りましたが、後ろの席の方達が見えにくいという意見が多かったのでこの形になりました。緊張感あるけれど、面白い。




お世話になったスタッフの皆様と終演後の記念撮影。楽しい一日を過ごしました。

ハロルドとリリアン



今月は歌舞伎に行けなくてがっかりしていたら、友人から楽しいハガキが届きました。
彼女が見た最近の映画の紹介です。昔、淀川長治さんという楽しい映画評論家がおりました。淀川さんが語る映画愛が楽しく、紹介されるとすぐにでも見たくなりました。友人のハガキはまさに淀川さんの語りのようで、思わず上映時間を調べてしまいました。上映館は恵比寿シネマガーデン。タイトルは『ハロルドとリリアン)

ハリウッド映画全盛の1960〜2000年にかけて絵コンテ作家とリサーチャーとして活躍した仲良し夫婦の映画愛、家族愛たっぷりの人生を紹介しています。
初めて担当した 十戒 の絵コンテで認められたハロルドは ウエストサイドストーリー、鳥、 卒業 などの映画の名シーンを描いて監督に素晴らしいイメージを与えます。リリアンは映画をよりリアルに味わい深くするためにあらゆる物をリサーチします。
親の暴力が原因で孤児院で育ったリリアン。第二次世界大戦の兵役から戻ったハロルドと恋に落ちるが、家族の反対にあい、新天地ハリウッドに駆け落ちした若い夫婦。激動のハリウッドで失業、移籍などを繰り返しながら三人の息子を育てます。待望の長男は当時まだ広く認識されていない自閉症と診断されます。リリアンの明るい、挫けない性格が長男をしっかり自立できるように導いた姿に感動。好きな仕事を得て、愛に溢れた人生を歩んだカップルの楽しい映画です。

ザ-ダンサー



1900年初頭、パリのフォリー-ベルジェールの観客を熱狂させたロイ-フラー。モダン-ダンスの祖と言われたロイは白いシルクのドレスをまとい照明の効果を活かしてまるで暗闇の中から光の花が浮かび上がるような舞台を創造したそうです。
女性によるダンスが卑しいものとされていた時代に自分の信念、情熱、美意識に忠実にひたむきに踊った女性。この映画はそのロイの舞台芸術に捧げる熱い思いを描いています。
イサドラ-ダンカンの名前は知っていたけれど、ロイ-フラーの名前は知らなかった。実はイサドラを見出したのはロイだったそうです。
ロイは踊っただけではなく、カラーフィルターを使った照明や舞台衣装などの開発もして、現代の舞台芸術や振り付け師達にも大きな影響を与えているそうです。
この映画では歌手のソーコがロイを熱演。自分の羽を抜いて反物を織るおつうのようなひたむきさとエキセントリックな姿が胸に迫ります。
実在したロイは芸術や化学や上流階級の人々との親交があり、色々な分野に貢献できた充実した人生を送ったようです。
残されたロイの写真や絵をもとにこの映画のために振り付けられたダンスシーンは圧巻です。

二カ月前



8月のコンサートまで二カ月になりました。今日はフォーメーションを考えながらの練習を重点的に行いました。皆仕事が忙しいのでなかなか練習時間が取れないのが悩ましいところです。踊り慣れた曲も、もう一度新しい視点で見直すと発見がありますよ。

いい汗をかいた後は美味しいおやつが待っています。井上さんお手製のシフォンケーキ。しっとりほの甘く、紅茶の香り。絶品。

先日山形へ行かれた佐藤さん。山形ではワラビをそのままの長さで煮て食べるそうです。という訳で食べ方伝授。美味しい。

長沢節



二カ月ぶりに会津の芳賀さんと散歩を楽しみました。芳賀さんが日曜美術館で見た長沢節展を見ようと提案。長沢節といえば、子供の頃からファッション雑誌に必ず彼のお洒落なイラストが掲載されているのを楽しみに見ていました。細いモデルが大好きで、踝がクッキリ見えるところに彼の美学がありました。
以外なことに反骨精神旺盛な会津出身だそうです。会場は根津の弥生美術学校。一度訪ねたかった美術館なので一も二もなく賛成。根津から言問通りを東大に向かって歩き、三叉路を左に。

明治、大正にかけて、本郷界隈に菊富士ホテルという絵描きや文士が長逗留していた有名な下宿屋のようなホテルがあったそうです。この弥生美術館の塔はその菊富士ホテルを模しているそうです。小説を読むと昔の人達はよく歩いてますね。この界隈も文士達の散歩道だったのでしょうね。そういえば、昔友人が本郷荘という木造三階建ての下宿屋に部屋を借りていたことがありました。趣のあるあの建物はまだあるのでしょうか?このあたりを歩いているとタイムスリップしそうです。

ここが美術館の入り口。横にカフェがあります。

節さんの看板。

戦後の日本をお洒落に彩ってくれた沢山のイラスト。創立した学校、節モードセミナーの内部の写真。愛用していたバッグや靴なども展示してあり、一貫した彼の美意識を感じられます。芳賀さんの同級生が節さんの生家を守っているそうです。日本人離れした粋な感性はパリジャンのよう。戦後の日本人が憧れたパリの空気が漂います。時代に求められた一人ですね。

弥生式土器も発見され、水戸藩の御屋敷もあったそうです。

動きのある綺麗なイラスト。

本人と同じ172センチ。50キロ。が理想のモデルだったそうです。

墨で一気に描きます。

板倉鼎-須美子展



目黒美術館で開催されている板倉鼎-須美子展に行って来ました。先日他の美術館でこのポスターを見かけ検索したらますます見たくなって急いでやって来ました。
板倉鼎は1901年に医者の家に生まれ、東京美術学校(今の芸大) で学び卒業した翌年に須美子と結婚してアメリカ経由でパリに留学します。ロシア文学者昇ショムの長女として生まれた須美子は文化学院で山田耕作に音楽を学んでいたが、17歳で学校を中退し鼎と結婚、パリに向かいます。
二人の結婚式の媒酌人は与謝野寛、晶子夫妻だそうです。大戦と大戦の狭間、パリが憧れの地で、多くの文化人が彼の地で切磋琢磨していた時代。経済的にも文化的にも可能な環境にいた、若く美しく才能にも恵まれた二人。前途洋々、輝く光しか見えない。
1926年7月31日、午後4時のパリ。列車から降りたった若く美しい二人の日本人。画家-板倉鼎と妻-須美子。
永遠に若い二人の閃光のような物語

ポスターになった鼎の作品、(赤衣の女) 1929年。この年に二人は生まれたばかりの次女ニ三 ふみ を失くします。そればかりか、鼎自身がこの年の9月に敗血病で急死。

鼎の作品。(黒椅子による女) 1928年。
四年弱のパリ滞在。それは二人の結婚の歴史でもあり、鼎にとっては温厚な写実から、モダンで華やかな構成的な画風に変わっていき、ますます伸びやかに才能開花させていく道程でした。
音楽を学んでいた須美子は鼎の手ほどきで絵を描き始め、何物にも囚われない伸びやかさと、ナイーブな感性で筆をとり、鼎と共にサロン-ドートンヌに入選を果たしていました。


鼎の作品。(金魚) 1928年。

須美子の作品。(午後 ベル-ホノルル12) 1927〜28頃。
パリに行く前に立ち寄ったハワイでは、二人は四カ月ほど滞在し、地元の人達に暖かく迎えられ楽しい日々を過ごしたそうです。鼎は有志の後援で個展も開催したそうです。美しいホノルルという意味のこのシリーズは須美子の表現意欲を掻き立てたようです。

須美子の作品。(ベル-ホノルル 20)
夫と次女を相次いで失くした須美子は友人達の援助で幼い長女一 かず を連れて帰国。ところが翌年にはそのかず も病気で失います。
その後、再出発を期して有島生馬に改めて指導を受けて絵画への情熱を持ち続けましたが、結核を発症し、25歳で亡くなりました。
光が輝いているほど、その影が暗い。30年にも満たない二人の人生ですが、今なお褪せることがなく、永遠に若い二人の閃光のような物語は生き続けていきますね。

« 2017年5月 | トップページ | 2017年7月 »

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

プシュパム・メンバーのブログ ↓