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板倉鼎-須美子展



目黒美術館で開催されている板倉鼎-須美子展に行って来ました。先日他の美術館でこのポスターを見かけ検索したらますます見たくなって急いでやって来ました。
板倉鼎は1901年に医者の家に生まれ、東京美術学校(今の芸大) で学び卒業した翌年に須美子と結婚してアメリカ経由でパリに留学します。ロシア文学者昇ショムの長女として生まれた須美子は文化学院で山田耕作に音楽を学んでいたが、17歳で学校を中退し鼎と結婚、パリに向かいます。
二人の結婚式の媒酌人は与謝野寛、晶子夫妻だそうです。大戦と大戦の狭間、パリが憧れの地で、多くの文化人が彼の地で切磋琢磨していた時代。経済的にも文化的にも可能な環境にいた、若く美しく才能にも恵まれた二人。前途洋々、輝く光しか見えない。
1926年7月31日、午後4時のパリ。列車から降りたった若く美しい二人の日本人。画家-板倉鼎と妻-須美子。
永遠に若い二人の閃光のような物語

ポスターになった鼎の作品、(赤衣の女) 1929年。この年に二人は生まれたばかりの次女ニ三 ふみ を失くします。そればかりか、鼎自身がこの年の9月に敗血病で急死。

鼎の作品。(黒椅子による女) 1928年。
四年弱のパリ滞在。それは二人の結婚の歴史でもあり、鼎にとっては温厚な写実から、モダンで華やかな構成的な画風に変わっていき、ますます伸びやかに才能開花させていく道程でした。
音楽を学んでいた須美子は鼎の手ほどきで絵を描き始め、何物にも囚われない伸びやかさと、ナイーブな感性で筆をとり、鼎と共にサロン-ドートンヌに入選を果たしていました。


鼎の作品。(金魚) 1928年。

須美子の作品。(午後 ベル-ホノルル12) 1927〜28頃。
パリに行く前に立ち寄ったハワイでは、二人は四カ月ほど滞在し、地元の人達に暖かく迎えられ楽しい日々を過ごしたそうです。鼎は有志の後援で個展も開催したそうです。美しいホノルルという意味のこのシリーズは須美子の表現意欲を掻き立てたようです。

須美子の作品。(ベル-ホノルル 20)
夫と次女を相次いで失くした須美子は友人達の援助で幼い長女一 かず を連れて帰国。ところが翌年にはそのかず も病気で失います。
その後、再出発を期して有島生馬に改めて指導を受けて絵画への情熱を持ち続けましたが、結核を発症し、25歳で亡くなりました。
光が輝いているほど、その影が暗い。30年にも満たない二人の人生ですが、今なお褪せることがなく、永遠に若い二人の閃光のような物語は生き続けていきますね。

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