« 2015年8月 | トップページ | 2015年10月 »

2015年9月

28年ぶりの再会

Photo 先日の朝、9時半ごろにインターホンが鳴る。どなたかしらと玄関に出ると見知らぬ女性が・・・。ひょっとしてと私が訪ねると相手の方もうなずいて・・・。実は一月ほど前に突然見知らぬ方から電話が。教室を見学したいというのでどこからですかと聞くと京都だというではありませんか。私が突っ込んで聞くと実は昔インドで会ったことがあるといいます。その後いろいろ世界を回り、つい最近もインドへ出かけ懐かしくなって連絡したというのです。近いうちに関東へ行くのでその時にお会いしたいとのこと。ではその時はメールをくださいと話は終わり。

そして先週メールが。群馬へ行く用事があるのでお会いしたいというのですが、あいにくその日は仕事でずーっと出ていますとお断り。するとその翌日は時間がありますかとまたメールが。それがこの日ですが、11時からシニアの方たちのおしゃべりヨガクラスがありますがよかったらご一緒にと返事を出しました。そのお返事がなく(実は出したそうですが、私がうっかり消去してしまったようです)勇気を絞って直接やってきたそうです。そしてその方はなんと昔私が出した手紙と同封されていた写真を持参してくれました。その写真を見て、すべて霧が晴れるように思い出しました。彼女の名前も場所も時期も・・・。

それは1987年の2月の初めです。場所はマドラス(その頃はまだこう呼ばれていた)エグモール地区。女性の名前は空山さん。その年の初めに私は日本で一緒にインド舞踊を習っていた友人と初めてマドラスを旅していました。私たちが訪ねた当時は本格的なダンスシーズンは12月で年を越すとプログラムが少なくなっていました。勢い込んで出かけてきたけれど、ダンスを見るという目的はあまりかなわず、それでも初めてのマドラスを二人で満喫していました。そのころ空山さんも大学の春休みを利用して初めてのインド、いや初めての海外旅行に出た直後でした。デリー経由ですぐにマドラス入り。着いたのはいいけれどYWCAが一杯で不安な気持ちで町を歩いていたそうです。

そんな空山さんに一人のインド人が話しかけこの近くのスリランカのお寺に二人の日本人が泊まっているよと。その男性に連れられてお寺に来た空山さん、運よくお部屋が空いていて泊まれることに。そこに泊まっていたのが私達。私たちはそろそろマドラスを離れカルカッタへ戻って帰国するころでした。

ちょうど其の日、私は注文していたインド舞踊の衣装が出来上がって舞い上がっていました。まだインドで習い始めているわけでもなく、そのころ習っていた日本のインド舞踊教室で衣装を着るチャンスがあるわけでもなく、そもそも古典のレパートリーを何も持っていないのに形から入りたがる私は何のためらいもなく、かなりぼらてた値段で衣装を手に入れたのでした。

衣装ができたら着てみたいと思うのが人の性。着たら見せたくなるのも人の性。ちょうど空山さんがお寺に来てチェックインしていた時、私はお寺の中で皆に衣装を自慢して見せ歩いていました。(まるで七五三の子供ですね)しかもお寺の中だけでは飽き足らず近くのミュージアムへ行こうとリキシャワーラーに交渉。何も事情がつかめない空山さんも一緒に行くことに。この時点で皆、乗りがいいことが判明。美しいサラセン様式のミュージアムをバックに写真を撮っているといつの間にかたくさんの人だかりが。突然日本人がインド舞踊の衣装を着て現れたのだから、インド人もびっくりしたでしょうね。しかし、そこはさすがインド人、乗りがいいので一緒に写真を撮ったりして大騒ぎ。楽しい時間を過ごしました。

Photo_2 私たちを運んでくれたリキシャワーラーと左が空山さん。右にいる友達はその後カルカッタでカタック・ダンスを勉強してデヴューしました。


Photo_3 見様見真似で支度して。今振り返ると怖いもの知らずというか恥知らずというか・・・。でも本当に楽しかった。


Photo_4この時の印象が強すぎたのか、ずーっと私のことを忘れないでいてくれた空山さん。思い切って訪ねてきてくださって本当にありがとう。最初の旅がよかったので旅好きになりあちこち出かけているとのこと。1年半かけて世界一周した時にはまたマドラスを訪れて思い出のお寺に宿泊したそうです。

あなたが帰られた後、戸棚の奥から古いアルバムを引っ張り出して思わず見入ってしまいました。この年の9月の末にほかの友人からいただいたご縁で今度は本当にインド舞踊を習いにマドラスを再訪しました。すべてのご縁に感謝します。

自宅でフットケア

Photo 今日はスタジオにフットケアの本田虹風さんをお迎えしました。以前ケアセンターで踊った時に知り合った本田さんはドイツでフットケアを勉強したそうです。現在は書道家、セラピストととして活躍しています。2~3人集まったら自宅へ来てくださるのでお年寄りがいらしたり、お友達が集まれる方は気楽に自宅ケアをお願いできますよ。happy01


Photo_2 洗面器まで持参してきました。こちらで用意するのは足を拭くタオルと新聞紙だけ。まずお湯で足をふやかして。


Photo_3 爪もきれいに整えてくれるし、足の裏はドイツ式のカミソリ(?)でつるつるにしてくれます。仕事がらいつも裸足なのでかかとはガビガビ。ターンで使う部位にはタコができていて情けない足の裏です。それを今日はきれいに片づけてもらいます。


Photo_4 施術前の写真を撮り忘れたけれど、終わった後はピカピカです。ケアセンターにお勤めしているKさんの話ではお年寄りの中には巻き爪が食い込んで足が壊疽になってしまう人もいるとか。足のケアは大事ですね。今日は母もピカピカにしてもらってご機嫌でした。いつでもご紹介しますよ!foot

秀山祭9月歌舞伎

92明治から昭和にかけて活躍した初代中村吉右衛門(1986~1954)の生誕120年を記念して、孫の二代吉右衛門や九代松本幸四郎などによって2006年から行われているのが九月恒例の秀山祭。秀山とは初代の俳名だそうで、この名を冠し、芸を継承する会です。今回は昼の部を堪能しました。


93 最初の演目は「双蝶々曲輪日記・ふたつちょうちょうくるわにっき」 この狂言は「角力場・すもうば」「米屋」「引窓」「橋本」という場面がよく上演されるそうですが、今回は珍しい序幕の場面が上演されました。物語の発端になります。二組の恋人たちが登場しますが、こののち運命を翻弄されるのですね。

新清水にある料亭、浮無瀬・うかむせが舞台。藤屋の遊女吾妻(芝雀)には山崎屋の若旦那与五郎(錦之助)。都(魁春)には元侍で今は笛売りの南与兵衛(梅玉)という恋人がいます。ところが吾妻に身請けする話が。驚いた与五郎に山崎屋の手代が店の金を工面しますと提案。実はこれは偽の金を用意して与五郎を罪に陥れようとする手代の策略。手代は金を手に入れて都を身請けしたいと思っていたのだ。

それを陰で聞いていた与兵衛が与五郎を助けようと誤って手代の仲間を手にかけてしまいます。その時に左手の小指をかみ切られてしまいます。どんな理由があるにせよ人を殺めてしまった与兵衛。都に指のけがを聞かれ理由を話すと手当をして奥に行くように。そこへ手代が金を持って都を口説きに。私を本当に好きなら小指をおくれと、手代を誘惑。手代の小指を切り落としたところに、ご詮議が登場。死体が小指を加えていたので小指を怪我している手代を引っ立てて行ってしまいます。

能天気なのは何も知らず(自分が騙されて、それを助けようとして殺人が起こったことも知らない)奥座敷で大騒ぎをしている与五郎。錦之助がのんびりした若旦那を好演。

与兵衛は吾妻を身請けしようとして失敗した侍二人に追われて清水寺の大舞台へ。やりあった後で二人を煙に巻くかのように、傘をさして清水の大舞台から地上へふわっと舞い降りていきます。舞台の上を宙吊りになってふわふわ、花吹雪と一緒に舞っている様子は気持ちよさそう。

9 次の演目は「紅葉狩・もみじがり」。以前に能で見たことがあります。また違った趣。平維茂(松緑)は従者を伴い戸隠山に紅葉狩りに来ると、宴を催している更科姫(染五郎)の一行に誘われ酒を酌み交わします。更科姫の舞姿を見ているうちにまどろみ、いつしか姫たちは姿を消してしまいます。そこへ山神(金太郎・染五郎の長男)が現れ更科姫はこの山に住む鬼女だと警告します。目覚めた維茂は鬼女の姿を現わした更科姫に立ち向かい、松の大木の上まで追い詰めていきます。

紅葉の華やかな背景を背に竹本、常磐津、長唄の三方掛け合い。更科姫の美しい舞を眺めながら意識が薄れていく平維茂。私もあまりの気持ちよさに意識が遠のいていました。意識が戻ったのは花道を元気に駆け抜けていく金太郎君の雄姿を見て。10歳でこの大舞台を務めるなんていいね~。

92_2 今日のメインは「競伊勢物語・だてくらべいせものがたり」 この競は「はでくらべ」 とも伝えられているそうです。なんとこの演目は歌舞伎座で50年ぶりに上演されるそうで、あの渡辺保氏をして、待ち遠しくて初日に鑑賞とのこと。さてさてどんなお話なのか!

紀有常(吉右衛門)は高貴な身分ながら兄に勘当されて東北を漂白。その時に隣人だった小由(東蔵)に実の娘信夫・しのぶ(菊之助)を預けます。その後許されて都に戻ります。そして自分は文徳天皇の内親王井筒姫(菊之助)を自分の娘として育てています。井筒姫は在原業平(染五郎)と駆け落ちして小由の家にかくまわれています。その井筒姫に横恋慕しているのが文徳天皇の跡目を惟仁親王と争っている惟喬親王。惟喬新王は紀有常に自分の意に従わない姫を殺すように命じます。そして三種の神器の一つ神鏡を惟仁親王側から奪い玉水淵に隠してしまいました。伊勢物語を題材にした惟喬,惟仁の皇位争いの陰謀を描いた7幕の脚本のうち5幕、6幕が現存されていて上演されるそうです。ここまでの話は伏線として暗黙の了解というわけです。

5幕目から始まるこの話。序幕は「奈良街道茶店の場」。京都へ商いに行って奈良へ戻る途中の信夫と新婚の夫の豆四朗(染五郎)。一休みしている茶店で信夫は夫の秘密を聞かされます。実は夫は惟仁新王側の在原業平の旧臣磯上俊清で神鏡を探しに玉水淵へ行くということを。この玉水淵は立ち入り禁止で禁を犯せば処刑されるという場所。それを茶店の親父にに聞かれ困っていると荷役として雇っていた饒八(又五郎)が親父の首を絞め二人を逃がします。ところが二人はグルで先に鏡を見つけようと殺したふりをしただけでした。そうとは知らない信夫たちはその場を逃げ出して国へ戻ることに。

その夜、饒八は玉水淵に潜って見事鏡を探し出します。そこへ現れたのが夫のために鏡を手に入れようと夫を騙してやってきた信夫。暗闇の中、かすかにお互いの空気を感じて動くこの二人がとてもいい。緊迫感があって息をつめて見入るシーンです。最後に信夫がうまく鏡を手に入れ饒八を交わして逃げ切ります。

次の場は小由の家。戻った信夫は夫に神鏡を渡すと、禁をおかしたから母も処刑されると聞き、わざと勘当されるために母につらく当たります。そこへ今は高位の有常が訪れ昔の長屋仲間のように小由とはったい茶を飲みながら世間話。べらんめえな口調で昔の思い出を話しながら娘を返してほしいと話しの核心へ。小由に拒絶されます。そこへ禁断の場へ入った犯人の詮議が・・・。それを裁くのは有常。ついに小由も有常が娘を都へ連れ帰ることを承諾。

有常が十二単を抱え信夫のいる部屋に入る下り。このときすでに娘を井筒姫の身代わりにする決心をしている有常がゆっくりと小由を振り返る様は一瞬時間が止まったような印象を残します。都へ連れ帰ると称して娘の髪をおすべらかしに漉くくシーンは絵のよう。髪を漉きながら実は身代わりにお前を殺すと娘に打ち明けると、けなげな娘は夫に会いたいと。そこへ豆四朗が業平の身代わりになるべく白装束で現れる。

別れに娘の琴に合わせて砧を打ちたいという小由。豆四朗を衝立で隠し琴をつま弾く信夫。何も知らない小由が砧を打っている間に豆四朗が切腹。信夫の手が震える。そして有常が衝立の影で娘の首を討つ。身を殺しても大儀のために・・・。それぞれの思いを抱えた四人が作り出す悲劇の空間、まさに歌舞伎の空間ですね。

9_2 永田町当たりのいやな動きや災害、事件と暗いことが多い日々。こんな時に歌舞伎を楽しんでいていいのかと一瞬思ったけれど、いやいや、こういうものを楽しめなくなる世の中にしてはいけないと強く思い直しました。

9_3


9_4 これはまさに歌舞伎弁当。木挽町ホールで販売中。

セヴァスチャン・サルガド

Photo写真の好きな友人からもらったこのチラシ。まさに神様が降臨してくる様な美しい風景に目が釘付けになりました。この写真家の名前はセヴァスチャン・サルガド。ブラジル出身の71歳。やはり彼の写真のファンであるヴィム・ヴェンダース監督とセヴァスチャンの息子のジュリアーノが共同で監督を行った映画「セヴァスチャン・サルガド 地球へのラブレター」を見てきました。最近の渋谷はごちゃごちゃしていてなるべく行きたくないけれど文化村があるので仕方ない。私としてはイメージフォーラムがある宮益坂のほうが歩いていても気持ちがいい。

ミリオンダラーホテルやブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ、ピナ・バウシュなどの素敵な映画を撮っているヴェンダース監督がどういう映画を見せてくれるのだろうかという期待にワクワクしながら見てきました。

Photo_2映画の冒頭に出てきたのはブラジルの金の鉱山で働く男達を撮った信じられないような写真でした。写真家が語っているようにその写真はバベルの塔やピラミッドの建設現場のように見えます。すり鉢状の巨大な深い穴にかけられた無数の梯子。蟻のように穴に潜って土を掘り、その土の袋を担いでまた地上へと昇っていく。写真家は言います。まるで奴隷のように見えるが奴隷ではなく、自由意志でここへ来た男達ばかりだと。言い換えれば金の奴隷で、一獲千金をあてたものは二度と戻ってこないと。

最初の写真から心をわしづかみにされました。写真家と監督のエネルギーに圧倒されます。70年代から写真を撮り始めた写真家はルワンダの虐殺の現場や飢饉の土地、フセインによって焼かれた油田、その火を消すために世界中から集まった消防士。難民や移民、死や破壊、腐敗などをテーマに作品を発表し続けてきました。

息子のジュリアーノにとって「危険な場所に出かけて取材する父親はヒーローだった。でも帰宅すると黙り込んでいた」と子供のころを回想します。ルワンダの虐殺を取材した後は社会に絶望していたといいます。その後環境問題へ意識が向かい、乱伐で荒廃したブラジルの一族の土地に植林をして広大な森を復活させたそうです。そして取り組み始めたテーマがGENESIS・創世記。ガラパゴスやアラスカ、サハラ砂漠やブラジル熱帯雨林など生と死が極限に交わる未開の場所をカメラの収めているそうです。私が最初に見たチラシの写真はアラスカで撮られたものだそうです。

父親不在で育ち、いつの間にか父との間に確執が生じてきた息子。そんなある日、父が撮影に誘ったそうです。2009年から取材に同行したジュリアーノは父が被写体に迫るときの距離感に驚いたといいます。セイウチやシロクマの取材でも転がるように近くに寝そべって被写体に迫っていくそうです。まるでセイウチやシロクマが笑っているようにしか見えない写真。パプアニューギニアやアマゾンの奥地の原住民たちとも同じ目線で物を見て、すぐに打ち解けるそうです。被写体の顔が皆イキイキしています。父との撮影旅行を通じて父親を理解できた息子は「父は世界の証人。偉大さがわかり、その沈黙の理由もわかった気がする」と言っています。

小さな映画館ですが見事に満席。映画が終わった後に皆で拍手しました。happy01

« 2015年8月 | トップページ | 2015年10月 »

2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

プシュパム・メンバーのブログ ↓