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2015年4月

イタリア建築紀行

Photo 昨年姉が頑張って執筆していた本が出版されたのでお知らせします。今回の本は今までの研究書というよりも紀行文(日記風の書き出し)なので読みやすいと思います。建築が好きな人はもちろん、観光でイタリアを旅したいと思っている人も視点を変えてこの本を携えて廻ったらまた新しいイタリアを発見できるような、ヒントを与えてくれる本になっていると思います。

装丁や写真、文体等、全体によくできた本だと思うので紹介させていただきます。本屋さんで見かけたら手にとって見てください。中学生の時にゲーテを読んで触発されたと言う文を目にして母も私もびっくり。中学生の頃私は何を読んでいた?

片岡球子展

Photo_2 友人に誘われて竹橋の近代美術館で開催中の「片岡球子展」を見てきました。生誕110年記念と言うことです。長命な方で2008年に103歳で亡くなられました。晩年まで精力的にいい仕事をされていました。こんなに一堂に集まった作品を見る機会はないのでぜひご覧ください。

Photo 私が片岡球子と言う名前を知ったのは高校時代にアトリエの先輩が愛知芸大の日本画科に入学したからです。戦前から小学校の美術の先生をしていて、愛知芸大の設立に伴って教授として赴任したそうです。苦節何十年という認識があったのかもしれません。でもそんなことは本人にとってはどうでもい事だったのではと今回の展覧会を見て思いました。絵を描くことが第一。美術界での出世とか考える暇もなかったのではと思います。清々しいくらい絵にどん欲です。

今回の陳列は作品を作風で4章に分類。球子の興味や探究心が解りやすく展示されています。このチラシに描かれているのは「面構 足利尊氏」。このシリーズで足利三代将軍が黄色、赤、青(実際には緑)の御面相で描かれています。肩の張り具合やら微妙な表情で不気味なくらい多分こんな人物だったのではと思わせてしまいます。

1932 「第1章 個性との闘い」から初期の代表作である1932年の「枇杷」。写生を大事にしています。この後、球子はいろいろな展覧会に次々落選。自分らしい作品を描く苦労の時代が続きます。作品は気色悪い顔と評されたものも多かったそうです。けれども小林古径が球子に「君はこの気持の悪い作品を描いて描いて吐くまで描いてみなさい。そこから本当の自分の作品が生まれてくる」と励ましたそうです。

1954 「第2章 対象の観察と個性の発露」から小学校の教員時代の作品である1954年の「飼育」。以前の作品より顔の表情が立体的になってきました。

1956 同じく第2章の作品1956年の「初夏」。瑞々しい作品です。
1962_2同じく「第2章」の展示。1962年の「桜島の夜」

1967_21967年の「梅園」。梅の花弁を一つ一つ描いているけれど、まったく独特の形。クリムトを思わせるような色調。

1990_3 「第2章」の最後を飾るのはこの「富士に献花」。85歳の時の作品。肩が痛いとか、腰が重いとかなかったんでしょうね。絵を描くことに夢中です。と富士が言っています。

1961
 「第3章 羽ばたく想像の翼ー物語・歴史上の人物」から1961年の「幻想」。圧巻の絵です。雅楽の舞手をモチーフに左右に配して作り上げた不思議な空間。スケッチを沢山描くけれど、そのスケッチから球子独特の形を作りあげていくそうです。深い色合いは実物を是非見て欲しい。

1976_2 「第3章」には有名な面構(つらがまえ)シリーズも。これは1976年の「国貞改め三代豊国」。着物の柄や背景。どれも緻密で、絶妙な色遣い。日本画の顔料だけでなく油絵の具やキャンバスも使ったそうです。


1973_2
 1983年の「狂言者河竹黙阿弥・浮世絵師三代豊国」。2人の作家の背景に白波五人男がそろい踏み。

1988_2 1988年の面構シリーズ「浮世絵師歌川国芳と浮世絵研究家鈴木重三先生」と言う作品。時代を超えた2人の人物と、その1人である絵師が描いた作品が同一画面に描かれている素敵な作品。クジラの吹いた汐の中には魚もみえます。緻密かと思うとわざと稚拙にしたり。作品を舐めまわす楽しみがありますね。


00111986「第4章 絵画制作の根本への挑戦ー裸婦」。1980年代後半から晩年まで取り組んでいたのが絵画の基本である人物デッサン。常々基本が大事と言っていたようです。「基本があれば、スケッチは簡単」という言葉がメモに。基本ができていれば、そこからどんどん羽ばたけるのはすべてに共通しますね。

今回はピアニストの友人に誘われていい展覧会を見ることができました。多分彼女に誘われなかったら足を運ばなかったと思う。自分の好みだけで見るものを選んでいると、いいものを見そこなってしまうので信頼できる友人の言葉には乗るものですね。今日は会場の中で待ち合わせをしました。偶然2人とも第1室を見ているときにジョージア・オキーフを思い浮かべました。日本には球子がいたと自慢できます。











踊れる幸せ

久しぶりに練習に来たYさん。去年の暮れにお母様が倒れてから入院や自宅治療などで目の回るような忙しい毎日を過ごしていました。入院治療が済んで自宅療養になった時にもう自分の事は何もできないと思ったそうです。いつもエネルギッシュなYさんも凄く落ち込んだそうです。でも病院の先生の的確なアドバイスでディ・ケア・センターを紹介してもらえ、職場の仲間の応援で一番大変な時を乗り越えることができたと言っていました。いい仲間がいるということは本当に励みになりますね。

今まで頭では解っていたことが実際に自分で経験してその大変さがよくわかったそうです。それと同時に人の優しさも。今はお母様も安定していて、ライブの時にはショート・スティもできるようになったそうです。おかげで四か月ぶりに練習に来ました。note 久しぶりに踊るのでリハビリを兼ねたお稽古の後、沢山話ができてよかった。仕事や、ライブもやっていけるめどが立ったそうです。よかった。周りの方に本当に助けられたと言っています。今の日本の高齢社会でこういう問題はいつでも誰にでもかかわる事態です。親の介護をしながら自分の仕事や、息抜きになる趣味の時間を少しでも持てるように、皆で住み心地のいい社会を回していきたいですね。

Yさん、しばらくはリフレの教室には通えないけれど、スタジオなら車で1時間くらいで来れるそうです。今日も明るい笑顔で黄色いカブトムシに乗って帰って行きました。happy01

南米からの絵ハガキ

Photo 2012年から世界旅行中のMちゃんとD君のカップル。途中何度か日本に一時帰国を楽しみながら現在南米を旅行中。このはがきは3月17日にイースター島から投かんされたもの。3週間の長旅を経て日本に到着。今はネットで瞬時に情報が公開されるけれど、こうやって海を越えてやってきたハガキは格別。ラパ・タイ・ダンスの踊り子も祝福しているような・・・。

それにしても渋谷のモアイとは風格が全然違う。モアイと呼ばれること自体を渋谷の子たちは恥ずかしがっているかも。Mちゃん達は今頃パタゴニアを旅している予定。ところで、パタゴニアってどこだった?2人の柔らかい心と頭で、沢山経験して来てください。

襲名披露公演

Photo 桜満開の4月2日。歌舞伎座では四代目中村鴈治郎襲名公演の初日です。襲名公演というものを初めて見るのでミーハーな私は期待でワクワクしています。夕方4時。昼の部が終わって堪能した顔で会場を後にする方達と、夜の部の開場を待ちながら写真を撮ったり楽しんでいる方達で歌舞伎座前は大賑わい。


Photo_2 上方歌舞伎の坂田藤十郎と扇千景女史の長男、翫雀改め四代目中村鴈治郎です。私は弟の扇雀さんは見たことあるけれど、お兄さんは初めて。実を言うと扇雀改め鴈治郎だと思い込んでいました。今日一緒に見る約束をした友人は昔カルチャーセンターの講師控室でたまたま御一緒になってそれ以来付かず離れずの20年来のいい関係を保っている方。彼女も教える仕事をだいぶセーブして好きなクラスだけ残してヨガを教えています。好奇心が強いのが彼女のパワー。時間の許す限りいろいろ探究しているようです。


Photo_3 第一部は幸四郎主演の「石切梶原」。家宝の刀を売って娘の婚礼費用を工面したい六郎太夫。刀の目利きを梶原に頼むと名刀だと判明。居合わせた大庭景親が買おうと申し出るが、弟の俣野景久に二人の罪人を重ねて切る「二つ胴」で試すべきだと言われる。ところが死罪の罪人は1人しかいない。どうしても金が欲しい六郎太夫は自分の身体を使って試してくれと申し出ます。果たして・・・。


Photo_4 本日の主役翫雀改め四代目中村鴈治郎の襲名を祝う役者総動員のお祝儀口上。今日は西だけでなく東にも花道が出ています。客席に着いた時からここにずらっと並ぶのだなと想像して楽しんでいました。木挽町の芝居小屋前(歌舞伎座のこと)に案内されてきたのは上方歌舞伎の坂田藤十郎と中村鴈治郎。座元や芝居茶屋の亭主,内儀らに出迎えられてこれから襲名公演の始まりと言う設定。そこへ西の花道から男伊達、東の花道から女伊達が登場してにぎにぎしく口上を述べます。

そして場面転換して芝居小屋の中では成駒屋の新・鴈治郎、扇雀、壱太郎(四代目の息子)、虎之助(扇雀の息子)、藤十郎(人間国宝のおじいちゃま)が合い並んでの口上。四代目はなんともいえない不思議な雰囲気。お坊っちゃまがそのまま大きくなっちゃた?それとも上方ではこういうタイプが二枚目?昔のタミル映画の主役もこんな雰囲気だったかも・・・。


Photo_5 御存じ近松の傑作心中物。紙屋治兵衛と遊女小春は心中の約束をしています。小春が茶屋河庄に来ている治兵衛の女房から夫と別れて欲しいと書いた手紙が届きます。河庄の女将が慰めていると見慣れぬ侍が客として現れます。そこへ登場するのが頬かむりをしてこっそり小春に会いに来た治兵衛。中の様子をうかがっていると小春と侍の会話が聞こえます。なんと小春は心中したくないと言っているでは。裏切られたと思い怒った治兵衛は窓の障子を閉めに来た小春めがけて心中に使おうと思っていた脇差で刺そうとします。それを見た侍が逆に治兵衛の両手を桟にくくりつけてしまいます。

ここで家の中から外へ場面が変わるので両手を縛られた治兵衛の後ろ姿を見ながらゆっくり舞台が廻っていくのを眺めます。そこへ通りかかるのが治兵衛の恋敵。縛られた彼を皆で囃していると侍が治兵衛をかばい皆を追い返します。実はこの侍は治兵衛の兄。2人を心配して様子を見に来たのです。小春とは別れると誓った治兵衛門の言葉に安心した兄は小春から心中の誓文を取り上げます。その中に女房からの手紙を見つけて小春のいじらしい心根を知り哀れを覚える兄。

この治兵衛と言う男は上方の和事の典型的な役がらだそうです。きっと私には解らない色気を上方の人は感じるのでしょう。今の私には着物がすぐ肌蹴ちゃう、お坊っちゃんにしか見えないのですが。この二人が何故心中しなければいけないのかこの場面だけでは理解不能。


Photo_6 文殊菩薩の霊地、清涼山にかかる石橋に霊獣、獅子の精が現れて牡丹と戯れます。染五郎と壱太郎、虎之助の息の合った獅子の毛振りが見どころの勇壮な舞台でした。若い二人を染五郎がしっかりつかんで、リードしている様子にこれから歌舞伎を背負っていくたくましさも感じます。


Photo_7 今回の襲名公演のために用意された幕。鴈が飛んでいますね。

久しぶりの再会

今日の午後は懐かしい生徒さんとの久しぶりのレッスンがありました。8年くらい前にしばらく通っていたMさん。当時はお子さんがまだ小学低学年。お仕事も始めたばかりで時間的、精神的な余裕がなくて残念ながら中断していました。おけいこを再開したいというメールを頂いたのは奇しくも京都へ行くためにMさんが御挨拶に来た晩。実はこの方もMさんです。名前は違うけれど名字が一緒。

あの頃時々お稽古に一緒に来ていた小学生はなんと高校2年生になるそうです。sign02 Mさんはお仕事も頑張って、アーユルヴェーダの自分のサロンを開いたそうです。このもくもくと努力を重ねた年月は輝いていますね。サロンは予約制でまだそんなに大勢のお客様がいないけれど、自分のやりたいことがしっかり目に見えてきたので充実しているように見えます。介護のお仕事も合わせてやっているそうで、なんだか昔よりよりインドっぽく、いい意味のたくましさがついていました。

3月中旬に具合が悪く寝ていた時に、なんと私が夢に出てきたそうです。(人の夢に勝手にお邪魔して説教していないといいんですけれど・・・。)その時にバラタを踊りたいと思って勇気を出してメールを下さったそうです。今日は来る道すがら、以前と同じ風景に励まされたと言っていました。スタジオの雰囲気も変わっていなかったので安心したと。考えてみるとこれが私のやりたい「港カフェ」ですね。荒波を超えて久しぶりに港に着いたら以前と同じスタジオがあったら・・・。ship それは踊りたくなりますよね。Mさん、マイペースで楽しんでくださいね。

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