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蝋燭能

Img2 2月の能楽堂。企画公演は「蝋燭の灯りによる通小町,二人静」 蝋燭能、見たことがないのでチケットを探したら脇正面1枚だけありました。6列6番、ラッキー。どんな雰囲気なんでしょうね。ワクワクしながら能楽堂へ。

024 先日の雪が残っています。

029 今日は謡講形式の素謡が前半です。謡講というのは普通の能の上演形式とは違う謡だけを楽しむ会だそうで、特に京都では今でも盛んに行われているそうです。広い座敷を障子や御簾で仕切って縁者を観客から見えないようにして、謡に集中できるような楽しみ方だそうです。この提灯も特別です。

謡講の演者も京都からいらしたシテ方観世流の井上裕久氏他2名。蝋燭の灯り(実際には舞台には天井からの照明が少しついています)でほの暗い舞台の上に置かれた障子のつい立て越しに聴く謡。最初の独吟、九重は京都の町の名前を連ねた意味のない歌詞で抑揚が面白く、終わった後に観客達思わず「ようっ」と一声かけてしまいました。囃子方抜きなのに旋律と情感にあふれていて、その声のよさにうっとりです。

3月に京都の有名な町屋(奈良屋・杉本家)で謡講・声で描く能の世界という会があるそうです。そのころ京都に行かれる予定の方は楽しんでみられたら?

028 開演前に蝋燭の点火をしている様子。オーヴがたくさん。

後半は「二人静」。吉野山の勝手神社では正月七日に菜摘川の土手で若菜を積んで神前に供えます。神職が菜摘女に命じて摘ませに行きます。女が摘み終わって帰ろうとすると一人の女が現れて「一日写経をして自分を供養してほしい」と神職に伝言を頼みます。名前を聞いても答えず、もし疑う人がいるなら自分が菜摘女に取り憑いて名を明かそうと消えていきます。

神社に戻って神職にこのことを話しますが、自分でも不思議に思っているので「本当らしくも思えない」と疑いのことばをもらします。すると突然、先ほどの女が取り憑いて気色も変わり、恨みのことばをもらします。神職が名を問うと判官殿(義経)に仕えた者だと言い静御前であることをほのめかします。神職は舞を所望し、回向を約束します。女は神社に納めてある舞装束の色を言い、神職が宝蔵を開けるとその通りの衣裳があるので女に手渡します。

舞衣裳を着た菜摘女が舞い始めると、静の亡霊が同じ衣裳で現れ二人はいずれが影とも解らないまま寄り添って舞い始めます。義経が追手に追われてこの吉野山に到り、桜の下でも休まることができず奥深い山道を落ちのびていったことを物語ります。さらにつらかったのは頼朝に舞を命じられたこと。「しづやしづ賤の苧環繰りかへし、昔を今にもなす由もがな」という昔恋しい時の歌を詠んで舞ったと語り、袖を翻し、回向を頼むと消えていくのでした。

二人の静が舞い始めるとどちらがどちらだかわからなくなってしまいます。シテは薄い灰青、ツレは薄桜の装束を着ているので区別はあるのだけれど、二人の舞姿が実体と影のように思えてきます。能面は視野が狭いので互いに合わせて舞うのは至難の業だと言われます。阿吽の呼吸、そして微妙なずれがなんともいえないムードを生み出すと言うのか・・・。二人の舞い姿はゾクゾクします。まさに蝋燭の灯りの中で繰り広げられる幽玄の世界ですね。

030 美しい灯りでした。

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