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レッスン 続き

Photo私がインドで最初に習った先生はナーガラージャン先生。アランゲトラムをしていただきました。現在アメリカ在住です。並行してアビナヤを習っていたヴァサンタ先生に引き続き習い、お陰様でたくさんインドでも踊らせてもらいました。自分の踊りに閉塞感を覚え、 もっと違う自分を表現したいと思っていた時に偶然知り合ったのがシャニムカ先生。ある日、以前ダンスを観てあこがれていたダンサーがナットワンガムをやっていたので、舞台が終わった後に会いに行来ました。結局その方とは話せず、そばにいたシャニムカ先生から「僕のダンス見たことある?」と尋ねられ、ないと答えたら、明日ナットワンガムをやるからいらっしゃいと言われたのが習うきっかけです。男の先生に習うことなど思ってもいなかったので、人生って面白い。三人の先生の中で一番フェミニンなアビナヤかもしれません。ひょっとして一番私に必要だった?

去年の秋のTHE HINDU(インド最大の新聞)のFRAIDAY REVIEW に掲載されたインタヴュー記事です。

要約すると、子供の頃からダンスのトレーニングをしていない人が辿り着いた長いダンスへの道・・・。 チェンナイではなく地方の商人の長男として誕生。音楽やダンスに無縁の家庭だったそうです。チェンナイのカレッジで文学を学び、二十歳の時に、有名な先生、サラサのクラスを訪ねたそうです。インドではダンスは5~6歳から始めるのが普通で、才能のある子は続き、やがてプロへという道を辿ります。サラサも最初は入門を認めてくれなかったそうです。熱心に通うので、じゃあ教えてあげよう。「ウカル」と言われて床に座ったそうです。ウカルというのはタミル語で座れですが、ダンスの場合はもちろんアラマンディ。何も知らない二十歳の若者が一つ一つ勉強してダンスの魅力に取りつかれて行きます。

機会を得て踊るたびにPadmaや、Lakshmi ViswanathanAnitha RathnamRamli Ibrahim などに認められます。思いっ切ってフルタイムの仕事を辞めて教室を開き、今ではサラサに私の右腕といわしめています。現在は海外にも多くの生徒を抱え、マレーシア、シンガポール、スイス、ドバイに教えに行っています。

スイスでロダンの写真集を見てインスピレーションがわいて「アムール」という作品を作り上げました。これは現在も進化しています。

結婚はと聞かれて「ダンスの世界に入ったのが遅い自分は、まだ丘へ登る途中なので考えていない・・・」という感じ。

グル・サラサは何もごちそうのない皿を渡して自分でごちそうを盛るように。つまり自分で考え、微妙なダンスのニュアンスをつかむように鍛えてくれたと比喩しています。

私も踊りを始めたのが遅いので共感できます。美しいものを観る目を鍛えることが、遠いへ辿り着く一つの道でもありますね。

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